今年もまた3月11日がやってきました
ぐりマネの住む福島県会津若松市は大きな被害も少なくすみましたが
それでもあの日のことは今でも覚えています
そして震災後
すぐに起こってしまった原発問題
マネの生活も大きく変化しました。
当時 パート従業員として雇用されていた職場からしばらく自宅待機の連絡を受け
その後、観光客の受け入れが出来ない=運営もままならない という事も。
幸いにもまた普通に働くことが出来ましたが、いろんな事が以前とは変わっていました。
震災の被害も原発の被害も受けない会津でしたが、『福島県』という大きなくくりの中では、世の中での『福島県民』に対する偏見・いじめのニュースが後を絶ちませんでした。
実際 家庭農園でマネの母が作った野菜を例年通り県外の親戚に送った際に拒まれ、しんみりとした母の顔が何とも切ない思いをしました。
当時高校生の娘を持つ母親としても、進学や結婚で県外に出た際、福島県民というのが弊害になってしまったり悲しい思いをする事はないだろうかと不安になりました。
それでも日々、職場で携わる幼~小学生の子供達の無邪気な笑顔だったり、日々の中で垣間見る何気ない福島の・会津の景色はいつもと変わらず綺麗で…
そしてなんと言われようが私達はここで これからも生きていくんだ。
という思いの中、ちっぽけな自分だけど何が出来るかを考えました。
そうだ!子供達の笑顔や、私達が日々 元気に生活している姿を会津の福島の景色を少しずつでも皆さんに紹介しよう!
そう思い始めたのが当時勤めていた会社のブログに、マネが所属する部署のブログを増設してもらい2011年12月カッパぐりーんの徒然日記がはじまりました。
始めは絵はなく カッパGREEN という担当者名でした。
なぜぐりマネがやらなかったのか…といいますと…
マネはただのおばさんだからです(;^ω^)
ただのおばさんがつれづれ語っても楽しくありませんよね
得体のしれないカッパぐりーんがそこにいたから 彼女に得体の知れない未知なるパワーを感じたから、彼女にお願いしたのです
名前だけからはじまり イラスト 3次元化のスタートは紙粘土のからだでした。
それでも写真写りが良くなるようにと 首だけは動かせるように工夫しました。
紙粘土の彼女を連れて出歩くのはちょっと大変でした(;^ω^)
ぬいぐるみのようなふわふわボディーに彼女が進化してからは 本当にいろんなところに行きました
休みのたびに、いろんな場所へ出かけ 時には変な視線を感じながらも
いろんな場所で写真を撮りました
そう だからカッパぐりーんは今年で9年
大きい体になってからの年がまだ短い(いろいろあったし休んでいたし)ですが
“下積み時代”とでもいうのでしょうか…。小さい彼女との思い出は沢山あります
当時から出没し写真を撮ったものは彼女個人のFacebookに投稿していましたが、2017年(多分)凍結されてしまい、今では見ることもできなくなってしまったのが残念でなりません…。
縁あってこの福島・会津の地でこうして活動出来ているんです
縁あって この震災を体験した この時代に生まれてきたのです
縁あって この新型コロナウイルスが猛威を振るう時代に生きているのです
いわば チャンスじゃないですか
苦しい思いも 悔しい思いも いつかきっと良き経験となって自身を成長させてくれるはず
より人の痛みを理解してあげることが出来るかもしれない
なんて…
また だらだらと 半分睡魔に襲われ版ボケ状態の頭で綴ってしまいました
来年は10周年
携わったすべての人たちと笑って迎えられたらいいなぁ
そんな願いを込めながら
東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りしながら
この日を過ごしたいと思います
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